2014年8月24日日曜日

娘との一年は 娘との葛藤であり 異国との葛藤でもありました。

おーやまさん
ずっと ブログを放置していてごめんなさい。
こういうことしたいね
とか 言っていたときって 基本的には 問題なく幸せ状態だったのかとも思います。

ずっと 私は自分のこと すごくいいお母さんだと思っていた。
今も心の隅で思ってるような気がする。
娘がちょっとずつおかしくなって なんとなく歯車があわなくても
ま ちょっと機嫌が悪いだけとほっておいた。
でも 彼女の中ではなにか異物が少しずつ 大きくなっていったみたい。
一年がたった。
すごく長くて 短い。
自分のなかで最悪な一年。
娘が壁に飾ってあった 小さいときの写真を 額縁ごと床に投げつけて一年。
私と一緒に写ってる写真。
私が刺繍した ピーターラビットの額縁もはがしてしまった。
壁は 釘の穴だけ。
ブラッシングスプレイを 部屋中にまきちらして。
まるで 売春婦のように立て膝をついて もう学校になんか行かないと言い出した。
学校もコンセルバトリーもやめる。
フルートなんて吹きたくない。
夜中に遊び回って 一日中 寝ていた。
そんな状態で なんとか 高校を卒業させ コンセルバトリーを卒業させ
受験して 九月から コンセルバトリーの上級 スーペリオールに入学させた。

ほっとくべきだったのかもしれない とも 思う。
でも 今は家を出て行く時期なのだから ちゃんと 目的を持って
社会的ステイタス つまり 学生 という身分で 出て行くべきだと思う。

でも 長い人生を考えれば ほったらかしにして 自分で一年 考えさせるべきだったのか。
第一に 『卒業させて』なんていう 親の意識自体がまちがっているのかもしれない。
失敗させたくない という 母の気持ちがうるさく感じるのだろう。
スペインの母親だったら ここまでつきっきりで 人生の道なんて用意してやらないだろうと思う。
でもほったらかしていたら そこそこと結婚して そして 退屈な人生
わたしだけが 退屈だと 思ってるだけなのかもしれない。
そういう人生を 彼女が選んでもしょうがないと思うべきなのか。

四年後 卒業するときに 彼女が私に語るだろう。

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