2015年5月15日金曜日

家を買った話 の続き

家を買ってから、不機嫌でいることが多くなった夫。

体の調子も 弱いところ(心臓)に支障が出て。

そんなに嫌なら、引っ越せるよ 売ればいい というと

こんなに壊れている家じゃあ 買ったのと同じ値段で売れない
必ず損をする

と怒りだす。


仕事も大変らしく やめたいという。

このまま続けたら僕の心臓は壊れてしまう

それなら もっとストレスのない仕事を探せばいい というと

すぐ見つからなかったらどうする

それに同じ給料をもらうのはフランスでは無理

今まではフランスに住んでベルギーで働くと税金で優遇されていたが
今後転職したら、優遇処置は適応されないのを知ってるだろう

(アメリカなら同額もらえる可能性があるというのが彼の持論)

そんな簡単じゃない

と怒りだす。


結局、私の提案は 彼によって全部却下。

取りつく島がないというのはこういうこと。

じゃあ どうするの というと

わからない!! といって 怒りだす。


こういうやりとりが、毎週とは言わないけど、月に1、2度。


うんざり しちゃったんです。

だってこれじゃあ 出口なし、ずっと不満だらけの人の面倒みるの?

(子供と仲良くしているときは すべてを忘れたようなでれでれ顔にはなる。
くるりと私の方に向ける顔つきは すでに違うものである)


時間が解決するかもしれないと 距離を置いていたけど

あるとき 私が趣味のフルートを練習していたとき
(やっても30分、一階で。彼は二階)

うるさいからやめろ といわれ 

私だって あなたの中国語(中国語会話をよく聴いている) 目をつぶっているよと言い合い。

自分が不機嫌なだけでなく こっちの楽しみも妨害されるのかと思ったとき

一緒にいない方がいいじゃん と思った。


それが 「価値観の違いに疲れています」をアップした数週間前のこと。


それ以来 離れたいという漠然とした気持ちが静かに頭の中にあった。


4月の半ば。

義母が家に遊びにくる一週間前。

今度は腰が痛いと訴え、まとまった休みを取った。


その日の朝、夫は生まれたての太陽のような久々にみる

ぴかっぴかな笑顔。

嗚呼、会社に行きたくないって 言ってたけど

ほんとうに ほんとうだったんだね  

と思った私。

誰かが発する言葉は きちんと受け止めねばならない。


その数日後 新たな展開があった。

近所の友達日仏家族が 仕事を変えてアジアの国に引っ越すという。

決して手厚い保証のある未来ではない。

それを話した。


あなたはリスクが待遇が というけど、それを考えなければいつだって何だって
できる

それに 病気で、うれしくない人が一人いると

ほかの家族は 幸せになれない


その言葉は はじめて彼を納得させた。


私は子供のことを考えてもうしばらく動きたくないと思っていたけど

状況によっては動くのも可能だから。あなたが病気になるよりいい というと


それを聞いた夫は 詰まっていたものがのどを通った表情で

それはそれは 久方ぶりに 目を輝かせていた。