2014年1月25日土曜日

あなたとわたしの距離感

皆様 お元気ですか。

唐突だが、私は今まで子どもを日本語で育てて来た。

フランスに住んでいても、夫はスペイン人だし

彼とは日本で結婚してから来仏していて、二人の間の言葉は日本語。

何の迷いも無く 家庭内の言葉は日本語で

子育ても日本語でして来た。


子ども達はフランスで生まれているから、教育は最初から現地のフランス語で

受けている。家をひとたび出ればフランス語の世界だし

さほど苦労無くフランス語を身につけ学校生活に馴染むと

信じていた。 


それが甘かったみたいなのだ。


9月から息子が小学校に入り本格的に勉強が始まった訳だけど

ついていけなくて、頻繁に担任の先生と相談し対策を練りの繰り返し。

今のクラスに二人、留年した子どもがいると聞いてからは

うちも同じ道を通るんではないかと言う心配を脳裏から掻き消せないでいる。


冬休み前の評価をもらって深刻に受け止め

休み中はコツコツ勉強時間を取り、遊びながら学べるよう工夫し

私の今年度の目標は

息子を進級させる

に即決まった。



夫に私の今年の目標はこうだけど、あなたは?


と聞いてみたら

健康と中国語を勉強する 

と来た。


この秋に検査入院した経緯から、健康 とは分かる。

去年も大使館が無料で提供してくれる中国語のコースに当選して

受けていたから 中国語 というのも分かる。


その時は特に突っ込まずに流した。



新学期になって


私は息子の宿題、対策に追われる日々が始まった。


夫はと言うと

新年の目標をハチ公のように忠実に守り

毎朝、出勤前に6時半に目覚ましを掛け 

ひとりでコーヒーを煎れ

トーストを焼いて中国語を勉強する日々が始まった。

私が起きて、子どもを起こす修羅場を演じている頃

彼は歯を磨いてさわやかに出勤して行く日々。 

週末も ネットで会話の勉強 のため 時折 鍵をかけて籠る。


なんだか めんどくさいもの 全部押し付けられてるような

被害意識が募る。


面白くなくて 朝、何か一つぐらい手伝って行って

例えば子どもを起こしてくれるとか

と言ったら

会社に遅れちゃうし 僕は自分で 朝ご飯つくって食べて

早起きして勉強して 君に迷惑かけてない

と きれーな答えが返って来た。



君に迷惑かけてない


これだよ。

自分の事は人に頼らずやるけど、それ以上手を出さない

いつまでたっても 父親になっても 結局 自分。

自分が 一番。

いつまでも自分の城に閉じこもっていて、煩わしい事には

手を染めない。


母親が こんなこと言ってたら

子育てができるか っちゅーの!

自分の事は二の次にして 他人の世話するのが育児なんだから。



いいね、あなたは自分の時間があって好きな事して

と憎まれ口を叩いたら

君もすればいい


.... 瞬間 自分の中の何かが噴き上げたね


だいたいね 息子がこんな時に 私は自分の事

やろうって気にならない

って怒った。


夫は 子ども好きでことの外 息子に対して

スペシャルな感情を持っている。 


だけど こんなにも距離が違う。

私が息子に対する距離と

夫が息子に対する距離。


 男って父親になってもやっぱり一人。

母親のように 子どもに重なってくること

ないのだろうか。




世の中のお父さんに一言


迷惑をかけるから怒るんじゃないのです。

迷惑はお互い様。


ただ奥さんは いっしょに子育てしてほしいのです。


自分の城から ちょくちょく出て来てほしいのです。





2014年1月14日火曜日

空の巣症候群って

1セントの夢さん

知ってますよ。その症候群。

私は結婚が遅くてまだ子どもが巣離れしてませんが 1セントの夢さんが

今どんな気持ちなのか もしよかったらお聞かせください。

いずれは 私も経験する事ですから。

それにブログに書くのは、客観的に状況を見るという作業にもなるので 何らかの癒しに繋がるやも 知れません。

コメントが上手く送信できなかったということで 少し心配ですが

コメント欄に長々と書いてくださったらうれしいです。許可頂ければ、それをコピーしてトピックに立ててもいいし。 



女って因果な商売ですよね。



産まれてしばらくは中性みたいなもので、初潮が来て女になる。
その後、結婚して自由が制限されて、出産してますます自由が制限される。
でもその限られた中で自分なりにやりがいや妥協点を見つけて、独身時代とは別の価値観を組み立てて行く。

私も子どもができてから、お菓子を手作りするようになりました。
だいたい自分が手作りより既製品が好きだったから、考えもしなかったことでした。
子どもが出来て、手作りするようになるって、凡百の母親像に与してますが、
でもそれが嬉しかった。

それ というのは母親達が歩んだ道筋を自分も周到するということです。


なんというか、自分が 埋もれる事が快感でした。


だから  空の巣症候群も 違った目で見たら 気持ちよかったり

しないか。



因果な商売 の続きだけれど

そんな風に女って ”村上春樹的に言うと”

喪失と再生を繰り返してる。



そうだ、私も10年もしたら生理が来なくなるだろうから

もう一度 喪失が待ち構えてる訳だ。



自分の母の話で恐縮ですが

母はけっこう冷淡なとこがあって。 笑

私 大学の後 実家に戻って 働いていたんです。

仕事は好きでしたが 正社員ではなく 自立したら貧乏暮らしは免れない。

でも楽しくおかしく生きていたら 29歳のある日


あんた 、30になったら家を出て行ってもらうでね


と告げられました。



1セントの夢さん、わかります?

ずっと出て行かないと行かないで 目障りになってくるんですよ。

だから 悲しいぐらいのタイミングで巣立った方が 乾杯ですよ。



でも その母の一撃のおかげで

私の人生は 次のステップに進みだしたので 

今では ありがたく思っています。

その上 出て行けと言った手前

その後 私が海外にボランティアに行こうが

ボランティアから帰国後に現在夫と 同棲を始めようが

母は何も言えませんでした。

ふふ。
 

 

2014年1月1日水曜日

このブログについて 2014年 元旦

明けましておめでとうございます。

今年が みなさまにとって 実り多い 一年になりますように。


かそるらさん

私こそ メールをするように  このブログを書きたいと

思って 始めたのに

(メールだったらいくらでも 楽しく送る事が出来たから)

それなのに ブログと言う場所になると メールのようには行かないと

よーく よーく(←今のうちの娘の口癖) 分かりました。


鴨長明が言っていたけど 机の前に座ると

いろいろな思いが去来して ものぐるほしけれ

まさに そういう気持ちになって メールを打つような気軽さは

どこかに行ってしまいます。

他人の目にさらされると言う意識も絶対的に影響していますし。


それでも 大好きであり 私にとって I need you  なかそるらさんと

ぼちぼち 続けて行きたいと 新年に思っています。


私たち 各々の メインブログでも 国際結婚 子育て 異文化 について

書かれているので  そのブログを トップページに表示することに

意見が一致したばかりですが

どこで リンクできるか まだ見つかっていません。


そういう訳で一時的に

ここにしょうかいさせてもらいましょう。


かそるらのブログ スペイン村人生活

 おーやまのブログ フランスへの階段



なかなか更新できないこと気にかけてくれてましたが

個人の生活を 削って ブログを書くのは

本末転倒です。

ははとして つまとして しゅふとして ひととして

日々の生活をしっかり生きていないと

悩みや喜びをきっちり引き受けていないと

書いている事が うすっぺらく つまらなくなってしまう。


だから かそるらさん 気にしないでください。

自分の生活を まず第一に。


そこで よんでくださっている みなさんに お願いですが。

そんな しーんと静まり返ったミズモ

(水面 の事 こう言いません?漢字が見つからず不安になった次第。)

のようなこのサイトに 小石を投げるのは 


あなたです。


なんでもいいですので


例えば 紹介した 私たちのメインブログのネタをつっこんだり

ふと思ったことを こちらにふってくれると うれしく思います。


コメントを入れるのはちょっと重いという場合のために

メールとして連絡が取れるように

表示もしたいと思っています。


ん?メールの方が もっと重いか。


 どちらにしても いっしょに 素敵な 時間と空間を

作っていける 楽しみに勝る物は ありません。



それでは 2014年も どうぞ よろしく お願い致します。


おーやま






 

差別について 〜続チャイニーズと言う野次を考察する〜

何故 チャイニーズと言う野次を考察したかったかというと

理論的に分析する事で

言われた時の不快感や不条理感、怒りを

沈める事が出来るのではないかと 考えたからです。

そして それは世界に住む日本人が関わる可能性のある

出来事だから。

さらに 自分ではなくて 子どもがそういう出来事に遭遇したら

親として何が言えるか

考えてみたかったから。


かそるらさんがご自身のブログに差別というテーマで書いてくれているものがあるので

引用させてもらいます。


*タイトルをクリックするとリンク先に移動できます。



ハエンを歩く


村と言うのは 共同体だから 全体にやんわりと 包み込まれている。
街とは 基本的に成り立ちが違う。
基本的に 混在している。

今日 久々に街を 県庁所在地 ハエンを てくてくと歩いて
 村とは まったく違う世界なのだとしみじみ思いました。

知らない道を 歩いていくと だんだんと 貧しい地域にたどり着いた。 村にも 基本的には 貧富の差はあるけれど それが特に目に見えて そして そこに行くと空気まで変わるということはない。

だから 急に家がみすぼらしくなって そのうち 住民のほとんどがジプシーになったとき 正直 足がすくんだ。
怖い と 思った。
村にいては 普通にお付き合いしているのに
ここでは 異形なのだ。

異形
異質
異世界
異邦人
異物
異界

それは私にとっての彼らであり
彼らにとっての私でもある。

この恐怖の感情は 理性のずっと外にあって
本能的に自分を守るための 保守的な意識だ。

それが 差別の根源にあるものなんだと

都市にある 理性をこえた非倫理 そんな感じのもの。

いろんな人達が ごちゃごちゃと 適当に 混ざっている世界が
実は居心地がいいのだと 思いました。

(ここで引用終わり)



やっぱり 個人じゃなくなると 脅威になるのかしら。

ひとり、または一家族として いれば すごく優しくされても

集団となると 回りの目つきが変わって来ますよね。

中国の人って 世界中に集団で移動して

そこに馴染まずコミュニティを作る。

それは イスラム系の人然り

イスラエル系の人然り


それを受け入れる側の 集団でいる異質な物に思わず感じてしまう恐怖は 

人間の自己防衛本能。

理性では如何んともできない。

それでも かそるらさんが感じた 無力感に共感しきりです。


.... で、子どもに何て言おう。