2015年4月14日火曜日

家を買った話

パソコンの調子が突然おかしくなったので、書けるうちに書きます。

収束に向かうかと思われた、うちの夫婦関係ですが今朝また一波乱来ました。


前回のタイトルが「夫婦関係のリセット或はデトックスは可能か」でしたが

その答えは 可能だと 私は答えたいと思います。

そうでなければ世の中の夫婦、みんな別れてしまいます。

他人といっしょに暮らしていて、不満や我慢が積もって行かない家庭はないのだから。




あれは2013年の5月、長かったフランスのアパート暮らしを終えて家を購入しました。
フランスに来たのが2005年、当初からたまに家を探してはいましたが、いかんせん 二人とも外国人で土地勘はないし、夫は非常に慎重なタイプなので、いやまだだ、いやもうちょっと と決断できずに来ました。しかしさすがに息子が小学校に入る前が区切りが良いということでそのタイミングで決断しました。(これはきっと日本的な考えです。フランス人は入学してすぐ転校したり軽々と動いています。)

もう一つ、決断の要因となった大きな理由がありました。それは、夫のアメリカ行きの仕事の話が駄目になったこと。ある経緯で、あちらの会社に声をかけられて、さんざん迷ったあげく、私が背中を押して話を受けた はいいがその数ヶ月後その話は立ち消えに。

気持ちはすでにアメリカ だったのでその展開には夫婦揃ってがっくりさせられました。
あの空虚感は 何者にも例えがたい。

いつもアメリカで働きたいと言っていた夫。最後には私も賛成して応援した。
でもそれが無くなった。

そのあと向かった心情的ベクトルは、もうやるだけやったし、いい加減 フランスで家買おう。でした。
(二人目の娘は部屋が無くて廊下にベビーベッドを置いていたし)
付け足すと、外国生活をイメージしてみたら外国に行ったら子どもの物理的、精神的サポート全般はかなり重く私の肩に乗ると分かりました。それも外国引っ越しに夢を持てなくなった理由です。
フランスで既に大変なのに。

で、その半年後 家を十軒は回りました。
最後に残った二つの候補で、私は今の家がよく 夫は買わなかった家がよかったのです。

私はここがいいと思っていたし、夫は 家で時間を長く過ごすのは私だからとこの家の決めてくれました。

私がこの家がいいと強く押した理由は、自分が気に入ったことと もうひとつは、もう一方の候補の家より値段が低い事でした。夫の事はよく知っています。お金を使うのが大嫌い。だからこちらの方が得策。あとあとローンで毎月払う金額が低い方が絶対に良い。

だから私の気持ちは揺らぎませんでした。


そして買った結果は?

引っ越した直後
なんかあまり嬉しくない。たぶん貯金が全部無くなったせいだと思う。by 夫
まず暖房の不具合が見つかり、他に家の中で修理が必要な部分が見つかるたびにお怒り、後悔。
買って数ヶ月後、心臓の不調を訴え検査入院。
この家のせいだ、この家を選んだお前のせいだ、(二人で選んだといくら言っても否定)
そのせいで心臓が...

元々、不整脈があったんです。それがひどくなったという。


家を買うって ゴールのような象徴的な意味がある。それは幻なのかもしれないけど
私の中にはこれでハッピーになれる、平和で上手く行くという期待がありました。

家は良い、場所も良い、学校も良い

でも家族で不機嫌な人が一人。波があるけど、定期的に愚痴っている。

この家で嬉しくない 
この値段でこんなに壊れている(築20年の家で許容範囲だとおもう)
売るとき同じ値段では売れない
お前のせいだ
アメリカに行きたい
この人生は地獄だ、奴隷だ

ここまでくると笑いそうになるんだけど、本人は大真面目。笑おうものなら怒られる。

私は庭もあって自然に触れる生活が性に合って、幸せだったので 特に誰にも相談せずに夫の愚痴をなんとか凌いでいたんですけど。


やっぱり ずっとごまかしきれません。


続きます。

2015年4月8日水曜日

夫婦関係のリセット或はデトックスは可能か

私たち 来てますね。

そうか かそるらさんも去年、娘さんの問題だけじゃなくて
スペイン文化(娘さんの中に育った)についても言っていた。

記事のタイトルは ”夫婦関係のリセット或はデトックスは可能か”

だけど 同時に ”異文化との関係のリセット或はデトックスは可能か”

も絡んで来る問題です。


かそるらさんは 前回の記事のコメントで

「大変なときだからこそ アグレッシブな言い方をせずに どんと構えていて欲しい」

とお話ししてくれたけど

それは ちょっと異文化も入るのかな。

日本の父親なら 黙って静観すべしという 既成概念があると思うから。


同じ類いで言うなら 

うちは 食事の前に 手が離せなかったので、夫に「箸だして」と頼んだら

自分のだけ持って来た。

私の分も子ども達の分も出てないのに、(ちょっと見りゃ分かるでしょ)

まっすぐ自分の箸だけ出して来て、椅子に座って おもむろに食べ始めた。


まだ みんなテーブルについてないというのに。

お皿もまだ全部出ていなくても。


話がしょぼくなりましたが、最初は 愕然としました。

私たちがどれだけ回りに気を配っているのか、そして 全く気を配るという事さえ
知らない人もいるということを目の当たりにして。



話が飛躍してしまうけど シャーリー・エブドの事件に
私が強く反応してしまった、理由はこれなんです。

他人の気持ちをまるで存在しないかのように無視して
自分たちの権利を声高に叫ぶ、正当化する。

あの事件で 自分の夫への、 西洋的マインドへの私の違和感が爆発しました。

ああ、私はこれを知っている。自分の日常的生活レベルで。
とつぶやいた。


箸の件は、今ではみんなの分も出すようになりました。
でも、一人だけ先に食べ始めるし、いくら呼んでも来なくてそれでも呼ぶと
「今やってることがあるんだ」と逆切れされます。これで何度けんかしたか。

これってチームではないよね。あくまで自分のペースを守る人種。

なので、今では一度 ごはんができたよ と呼んだら、もうそれ以上は呼ばない。

たぶんこの事を追求すると 彼は

何で 自分の食事が冷めるだけなのに行かなきゃいけないんだ
何で 自分のやっている事を途中でやめて、つまり犠牲にして行かなきゃいけないんだ

と弁護すると思う。思う だけだけど。


私の
みんなで 特に食べるという行為を 共にするということは、家族としてとても大事だと思う という意見は、彼の西洋的合理主義意見に比べて 弱い。
それは、体で覚えたとでもいうべき私たち東洋人の血と肉になっているものだと思う。

たぶんそれは主張するものではなくて、智慧として共有しているべきもの。

共有しているべき物を 共有していない人に諭す虚しさよ...

実際は、まだそれを諭した事はありません。どんな答えが来るか知るのが恐くて
そんな気になれない。


一人だけ先に食べ始めるというのは、マナーとしてはあまり良くないというのは分かってるみたいなんだけど、家庭でそういう躾がなかったんだと思う。さすがに及ばれしたりクリスマスのご馳走をみんなで食べるという時は待っている。


こういうのって細かい事だけど、続くと、もやもやした澱みたいなものが心に溜まって来ます。目立たないけど そういうのって 根が深い。


エンリケさんが言っていた、ホモはチームじゃないからすぐ別れる

というのは面白いね。

フランス人もチーム感覚がないからすぐ別れるのか。

チームって、相手を考える事だよね。ワンマンプレーにならずにね。


私、部活も体育会系が苦手で毛嫌いしていたけど
自分も しっかりチーム感覚 染み付いてました。

こうしてみると。


家を買った話、できなかった。次回に回します。