2015年4月8日水曜日

夫婦関係のリセット或はデトックスは可能か

私たち 来てますね。

そうか かそるらさんも去年、娘さんの問題だけじゃなくて
スペイン文化(娘さんの中に育った)についても言っていた。

記事のタイトルは ”夫婦関係のリセット或はデトックスは可能か”

だけど 同時に ”異文化との関係のリセット或はデトックスは可能か”

も絡んで来る問題です。


かそるらさんは 前回の記事のコメントで

「大変なときだからこそ アグレッシブな言い方をせずに どんと構えていて欲しい」

とお話ししてくれたけど

それは ちょっと異文化も入るのかな。

日本の父親なら 黙って静観すべしという 既成概念があると思うから。


同じ類いで言うなら 

うちは 食事の前に 手が離せなかったので、夫に「箸だして」と頼んだら

自分のだけ持って来た。

私の分も子ども達の分も出てないのに、(ちょっと見りゃ分かるでしょ)

まっすぐ自分の箸だけ出して来て、椅子に座って おもむろに食べ始めた。


まだ みんなテーブルについてないというのに。

お皿もまだ全部出ていなくても。


話がしょぼくなりましたが、最初は 愕然としました。

私たちがどれだけ回りに気を配っているのか、そして 全く気を配るという事さえ
知らない人もいるということを目の当たりにして。



話が飛躍してしまうけど シャーリー・エブドの事件に
私が強く反応してしまった、理由はこれなんです。

他人の気持ちをまるで存在しないかのように無視して
自分たちの権利を声高に叫ぶ、正当化する。

あの事件で 自分の夫への、 西洋的マインドへの私の違和感が爆発しました。

ああ、私はこれを知っている。自分の日常的生活レベルで。
とつぶやいた。


箸の件は、今ではみんなの分も出すようになりました。
でも、一人だけ先に食べ始めるし、いくら呼んでも来なくてそれでも呼ぶと
「今やってることがあるんだ」と逆切れされます。これで何度けんかしたか。

これってチームではないよね。あくまで自分のペースを守る人種。

なので、今では一度 ごはんができたよ と呼んだら、もうそれ以上は呼ばない。

たぶんこの事を追求すると 彼は

何で 自分の食事が冷めるだけなのに行かなきゃいけないんだ
何で 自分のやっている事を途中でやめて、つまり犠牲にして行かなきゃいけないんだ

と弁護すると思う。思う だけだけど。


私の
みんなで 特に食べるという行為を 共にするということは、家族としてとても大事だと思う という意見は、彼の西洋的合理主義意見に比べて 弱い。
それは、体で覚えたとでもいうべき私たち東洋人の血と肉になっているものだと思う。

たぶんそれは主張するものではなくて、智慧として共有しているべきもの。

共有しているべき物を 共有していない人に諭す虚しさよ...

実際は、まだそれを諭した事はありません。どんな答えが来るか知るのが恐くて
そんな気になれない。


一人だけ先に食べ始めるというのは、マナーとしてはあまり良くないというのは分かってるみたいなんだけど、家庭でそういう躾がなかったんだと思う。さすがに及ばれしたりクリスマスのご馳走をみんなで食べるという時は待っている。


こういうのって細かい事だけど、続くと、もやもやした澱みたいなものが心に溜まって来ます。目立たないけど そういうのって 根が深い。


エンリケさんが言っていた、ホモはチームじゃないからすぐ別れる

というのは面白いね。

フランス人もチーム感覚がないからすぐ別れるのか。

チームって、相手を考える事だよね。ワンマンプレーにならずにね。


私、部活も体育会系が苦手で毛嫌いしていたけど
自分も しっかりチーム感覚 染み付いてました。

こうしてみると。


家を買った話、できなかった。次回に回します。