2013年1月11日金曜日

橋の落とし方

明けましておめでとうございます。
今年が みなさまにとって 幸多からんことを
お祈り申し上げます。

今週7日から息子の幼稚園が始まったのに伴って 先週末日本への一時帰国から
戻って参りました。

戻って来て いつもついやってしまう事。
時差ぼけで疲れ気味でありながら
つい料理に力を入れてしまう。

つまり
日本で食べた料理と張り合ってしまう。

こっちだって そんなに悪くないぞ
と自分を納得させたいために。
こっちの生活を 肯定したいがために。


村上春樹さんが言っていたけど
料理というのは空気付き で、ある場所で食べたものは
異なる場所で食べても同じ味わいにはどうしてもならない
という話。
聞いた事がありますか。
私は全面的に賛成するんだけど
だから材料も揃わないのにここで和食を作ったって
無駄な抵抗であり そのうえ空気付き なんだから
日本で食べる和食に叶うはずもない。

ということは
ここにある材料でここの料理を作らないと
太刀打ちできないのだけれど
でもやっぱり コシードの出がらしの肉に
スーツケースに忍ばせて来た
ポン酢をつけて食べてしまうんです。

そして敗北感を味わうのです。


時差ぼけが残っている間は
自分がどこにいるのか
心の一部はまだ日本にいるような
うすら悲しい感覚があって
嫌です。


”おい、橋は落としたか

橋を落とさなければ どこにも行けなくなってしまうぞ”

ふふ 村上ワードの連続。

ぼっ

私も心の中で 橋を落として
今あるフランスの生活に
集中しなければ。


でもね
これも覚悟と同じで
橋の落とし方をよく知らないんです
私はまだ。

2 件のコメント:

  1. 橋の落とし方ってどこに出てたんでしたっけ?
    うちの夫は 船を燃やすって言います。 スペイン人の言い方。
    でも同じですね。
    母をこっちに連れてきて もう帰る家がない。 橋も船もないから
    しゃーないなってところで 生活してます。 
    昔は結婚して白装束になるのはいったん死ぬことを意味していたそうです。
    昔はきっと 神戸あたりに住んでいて三田なんかに嫁入りするのは スペインよりも すごいことだったのかもしれないですよね。
    橋を落として 船を燃やして 気づくと 子供たちが日本語を話せない。 ちょっと失敗したかなって 言う気持ちは 実はあります。

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  2. 橋の落とし方
    ちょっと違う言い方だったかもですが
    遠い太鼓の中の ベルギー人のジョン?か誰かが出て来る
    最初の方の話に。

    手元にあるはずの遠い太鼓を探したのですが
    行方不明。
    村上春樹の本は置いて来たんですがこれはこちらに来てから譲ってもらったんです。
    遠い太鼓。
    久々の村上作品をスポンジが水を吸うような集中力で読んだなあ。
    村上春樹の話を読む時の感じは やっぱり特別。

    ちょっと失敗したかなって正直な気持ち。
    昔なら 他国に嫁いで器用に子どもに日本語を教えるのは
    論外だったと思うけど 
    ネットやテレビでいとも簡単に時空を超える現在の
    何でもありな故の
    悲しい 。。。。
    悲しい、何だろ。

    ともかく
    潔くなくて美しくないですよね。
    外国に嫁いだけど 日本も捨てる気はないし 両方のいいトコ取り
    しようという私のような嫁。

    でも両方のいいトコ取りをしようとどんなに上手く立ち回っても
     何かを手に入れたらその代償を払う
    というルールから逃げ切る事はできない
    そう思います。

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